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阪神淡路大震災から20年。
5時前に妻に車を出してもらい、息子と娘とともに、家を出て、諏訪山のビーナスブリッジの式典に参加しました。
震災当時、私は京都で大学受験を控え、予備校で学んでいました。 初めて神戸に来たのが、ボランティアの時でした。
被災したお宅の安否確認のボランティアを終え、帰路に「自分は帰る家はあるが、あの人達はどうなるのだろう。」「個人だけじゃダメだ。やっぱり、政治だ。」と考えました。
これが政治に向き合う原点となりました。
コープの関連会社に就職し、神戸に来て、漠然とした思いは具体性を帯びました。二つ要因がありますが、どちらも“人”に出会ったからです。
1つは、被災をし、今も苦しんでいる人達と触れあうようになりました。特に復興住宅の方たち。毎月一度は会い、話し合います。
今になって、住んでいたところから追い出す、こんな目にあわせるなんて、絆をあれだけ大事だ、と言いながら行政は何をしてるのでしょう。
腹が立って仕方ありません。みんな病気を抱えてギリギリで暮らしているのに。
二つは、目の前の子どもの存在です。今日、 子どもが参加することにちゅうちょがありました。
こんな寒いところに連れてくることが良いことなのか? すぐ風邪引くしなあ。
でも、小二と五歳。そろそろ学び出してほしい。
親としての気持ちなど、当時わかりませんでした。
この子たちの世代もどこかで、被災する、と考えておかねばなりません。
その時にすんでいる町は、防災対策はできてるか? 人のつながりはあるか? 無駄づかいしていて、公的支援が出来ない、なんてことはないか?
そんなことを考えてしまいます。
過去の努力の結果で今があり、今の努力の結果で未来があります。
議員として、親としてがんばりたいと思います。
*写真は参加者が鎮魂の鐘をついていく中で、私もついてる様子です。青いジャンパーがそうです。
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